『備後国風土記』には、次のようなお話が載っています。

北海におられた武勇のすぐれた武塔の神が、南海の女神に求婚しようと遠くからおいでになりました。
ある土地まで来たところで日が暮れてしまい、将来兄弟の家に宿を借りようとしました。兄の蘇民将来は、大変貧しかったのですが喜んで宿を貸し、御座所をつくって粟飯などを炊いてもてなしました。 弟の巨旦将来は、大変裕福であるにもかかわらず宿を貸そうとはしませんでした。
こうして次の日、武塔の神は兄の家を出発し南海へ向かわれました。
茅の輪 それから、数年経ち、武塔の神は蘇民将来の家へ行き、以前の恩返しをしようとおっしゃり、蘇民将来とその妻と娘に茅の輪を腰に付けよと命じられました。
その夜、この3人を除いて村人は、疫病で死んでしまいました。
武塔の神は「私は速素盞嗚神である。もしこれからの世に疫病がはやりだしたなら、蘇民将来の子孫だと言って茅の輪の形にして腰に付けたらよい。そうすれば免れるであろう」とおっしゃいました。

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